年代 | 歴史 |
1876年(明治9年) |
3月5日和田実誕生(東京牛込区南山伏町)父持直・母悦。 |
1893年(明治26年) |
本科準教員として横浜戸部小学校に勤務。師範学校入学。 |
1897年(明治30年) |
神奈川県尋常師範学校卒業・本科正教員として戸部小学校に勤務。 |
1905年(明治38年) |
横浜市第6高等小学校勤務。師範学校・高等女学校教育科免許状(文部省)。 女子高等師範学校嘱託。東京市芝区田町9丁目に転居。 |
1907年(明治40年) |
女子高等師範学校助教授。東京府教育会保姆伝習所講師。 |
1908年(明治41年) |
「幼兒教育法」著辻(中村五六と合著)。東京市小石川区竹早町72に転居。 |
1911年(明治44年) |
中等教員病理科学免許状を受ける。 |
1915年(大正4年) |
8月東京女子高等師範学校退職。9月東京府教育会附属 教員伝習所講師退職。11月目白幼稚園開園。園長。
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1916年(大正5年) |
中等教員病理科学免許状を受ける。 |
1930年(昭和5年) |
目白幼稚園保姆養成所開校。第二目白幼稚園設立。 本園とともに養成所の実習生を受ける。 園長・校長 和田実
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1932年(昭和7年) |
「実験保育学」を著す。 |
1937年(昭和12年) |
東京帝国大学で開催の第七回世界教育会議に幼稚園部門代表として発表する。 |
1938年(昭和13年) |
東京私立幼稚園連盟を主催し会長となる。 |
1942年(昭和17年) |
東京私立幼稚園協会設立により副会長となる。 |
1943年(昭和18年) |
「保育学」を著す。 |
1944年(昭和19年) |
目白幼稚園は建物強制疎開のために閉園。 第二目白幼稚園は戦時託児所となる。
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1950年(昭和25年) |
学校再開。 |
1951年(昭和26年) |
学校法人目白保育学園設立。理事長和田実。 |
1952年(昭和27年) |
「幼稚園にカリキュラムはいらぬ」を発表。 |
1953年(昭和28年) |
「教育学への不満」を発表。 |
1954年(昭和29年) |
1月14日和田実没(享年78歳)。和田トヨ理事長に就任。 |
1955年(昭和30年) |
めじろ会誌「和田実追悼号」を和田達夫編纂。 |
1957年(昭和32年) |
「目白鍵盤」開発・発売。和田達夫理事に就任
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1958年(昭和33年) |
「目白鍵盤」が発明協会から表彰される。 |
1965年(昭和40年) |
幼稚園創立50年、園舎本建築落成祝賀を学校と共に行う。 |
1966年(昭和41年) |
和田トヨ叙勲。勲五等瑞宝彰受く教育功労者として文部大臣より表彰される。 |
1967年(昭和42年) |
和田トヨ没(83歳)。和田達夫理事長・園長・校長就任。 |
1968年(昭和43年) |
下落合校舎完成(3階まで)。8月21日和田達夫没(61歳)。 和田淑理事長・園長就任。 |
1969年(昭和44年) |
和田丈夫理事長就任。「和田実の幼児教育法の研究」を完成。 保母資格取得可能となる。 |
1976年(昭和51年) |
和田実誕生100年・目白幼稚園創立60年・東京教育専修学校創立45年及び 落成式・祝典を行う。 |
1978年(昭和53年) |
鈴木四郎理事長辞任。和田淑理事長就任。 |
1979年(昭和54年) |
「和田実その人と思想」NHK広島放送局。 |
1980年(昭和55年) |
和田実胸像完成10月15日除幕式。創立50年。和田実研究会発足、資料室完成。 「めじろ会誌復活記念特集号発行」 |
1985年(昭和60年) |
「実験保育学」注釈付復刻を刊行。 |
1986年(昭和61年) |
目白幼稚園・創立70周年記念式典。 |
1990年(平成2年) |
法人名を「目白保育学園」から「和田実学園」と改称。 |
1995年(平成7年) |
東京教育専門学校・創立80周年記念式典開催。 |
1999年(平成11年) |
東京教育専門学校2号館を取得。 |
2005年(平成17年) |
門山睦理事長就任。 |
2007年(平成19年) |
『幼兒教育法』復刻出版(12月) 幼児教育は、この本が原点! 和田實の「幼兒教育法」が現代語になって発売されました!
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2009年(平成21年) |
11月目白本館(目白駅前新校舎)完成
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2010年(平成22年) |
1月30日和田淑没(享年97歳)。 |
2011年(平成23年) |
和田実誕生135年記念式典開催。 |
2015年(平成27年) |
目白幼稚園創立100周年記念式典開催。 |
2016年(平成28年) |
下落合校舎を閉館。 |
2021年(令和3年) |
北原隆史理事長就任。 |